完全な文章で話す人は意外に少ない. 俳優キム・ヘスはその中のひとりだ. 彼女はあきらめないで話す. ピリオドに旗をさすまで. 小鳥がさえずるようにキム・ヘスがこぼし出す単語は選ばれたリズムで鈴の音のごとく話している途中時々リーンと修飾音を交ぜる. バッハ平均律ピアノ組曲を一オクターブ上げて聞くのに似ている. 映画 <タチァ>の形式はキム・ヘスが選んだチョンマダンが聞かせる昔話だ. “3年間貯めたお金を失った時コニはふとひとりだという感じがしたそうだ. でもどうしましょう?誰でもみんな経験することなのにね.” しゃあしゃあと語るキム・ヘスの口演の中で英雄コニ(チョ・スンウ)はなんとなく童話の中の ‘赤い帽子’のように小さくて青臭い存在となる. <タチァ>はチョンマダンの ‘舞台’ 上の姿だけ見せてくれる. 煩悶とためらいはあくまでも舞台裏のことだ. チョンマダンは言わば世間という観客をたぶらかそうとする無謀な俳優. 劇中で彼女の時間はこま切れになっている. 白鳥を忘れてしまって再会するまで一番つらかった時期の本当チョンマダンはこっそりと画面後に消える. キム・ヘスが映画 <カムボ>(1986)で演技を始めたことは20年前にさかのぼる. 舞台に上って来て送った人生がそうではなかった時間を越してしまったわけだ. 私が憶えている 10代のキム・ヘスはダイヤルせっけんのにおいがした. 1980年代初めソク・レミョン監督の青春映画に出たカン・チュヒみたいなスターを連想させる健全さと生真面目さが彼女にはあった. そうかと思えば少女キム・ヘスは男たちの目にはもう成熟した女だった. 人々は早くから彼女に誰かの妻や母親役を望んだし, 少女は慣れた. 母性に対してあなたが話頭を取り出したなら、キム・ヘスは長い話を聞かせるだろう.
幼くして厚徳(慈しみ深いこと)で、老熟した役やり遂げたこの俳優は, さらに欲望にこだわる女性キャラクターを努力して演じている. しかしキャリアを通して彼女がか弱さを前面に出した記憶を捜すのは難しい. <コムタン>(1996), <グッキ>(1999), <ドクターボン>(1995), <永遠なる帝国>(1995), <YMCA 野球団>(2002), 無作為に出演作を指折って見てもキム・ヘスは概してそうだった. 足蹴り, 推進力, 忍耐, 活力, 官能, 計巧, 愛嬌等々, 女性に許された武器をキム・ヘスは殆ど備えているように見えた. <新羅の月夜>でキム・ヘスが人質につかまった場面はそのためぎこちなかった. 案の定, 彼女は誘拐犯に一喝する. “その人来ないよ. このボケナス!” 新作 <浮気日和>(監督チャン・ムンイル)で浮気をした主婦に扮するキム・ヘスは “君を監獄にぶち込んでやる”と脅かす夫に “私はあんたを地獄に投げ込んでやるわ!”と言い返す. またキム・ヘスは天生紅一点だ. 言わば男たちが ‘ちらちら’ 見る部類の女だ. キム・ヘスひとりだけがいても映画一編のエストロゲン定量が一杯になる. 男たちの間に挟まった配役がよくある一方、他の女優と同じ比重を分ける作品が少なかったことも同じ理由だろう. <タチァ>のツェ・ドンフン監督は本当にチョンマダンがどういう人間なのか曖昧な状態でキム・ヘスに会って “この女は態が素敵だな. チョンマダンならあんなふうに座るんじゃないかな?” 逆にひらめきを感じたと言う. ときとしてキム・ヘスはモデルとしての俳優を思いださせる. そういえば彼女にはファッションモデルの属性さえある. <りんごの花の香り>と <復讐血戦>のチャン・ヨングPDはキム・ヘスは衣装とメイクでキャラクターを演出するのが天才的だと言った. キム・ヘス映画の観客は次の場面に彼女が何を着て出るか無意識に期待する.
話し合う間キム・ヘスは言葉ごとに自分の不足さをしんらつに指摘した. それは従順な謙譲というより気丈夫な宣言に近かった. 私ですか? 非常に不足です. しかし私のいたらない点を一番よく分かる者が私だから, 怖じけずくこともないです, と念を押すように聞こえた. “誤解を受けることもあります. でも構わないですね.” 多くの不安と自愧(自ら恥じること)を経験してきた 20年女優の暫定的結論だった. 紫色ペディキュアだけつけて来た素足の俳優はゆっくりとした 4分の 3拍子で室内を歩いて通った. 彼女は確かに自分の心臓に内蔵したメトロノームに合わせて動いていた.
-顔色が悪いですね. 過去、インタビューで明らかにしたとおり血圧が低いと疲れを自覚することも多いでしょうに偶然健康の表象になったんでしょうか. ドラマ <チャンヒビン> 後半部見ながら “あの人が今本当に呼吸が苦しそうだな”と感じたことがあります.
=演技力が付いたせいもあります. 私がまた発声が良くないでしょ? それでも <チャンヒビン> やりながら少し声が出たんです. すべて元気なのに血圧だけひどく低くて問題生じれば常にそれですね. そのため <チャンヒビン> 後半部は暴れる場面を初めや終りに集中して撮影するように按配することがスケジュール編成のカギでした.
-幼くして仕事を始めて見ると労力する姿勢が第2の天性になって体力的に大変でも自ら大変ではないと信じて、ひいては人目にもそういう風に見えるようになったのではないんでしょうか?
=私が元気さを主張した事はないです. しかし気力が走るなんて私に似合いますか? 調子が悪いふりをする俳優は醜いでしょう. でも冬になると身が凍って割れるみたいにつらいです. 夜撮影をしている途中、目を閉じると電気カーペットのダイヤル、7のオレンジ色の明りの幻覚が浮かんでくるくらいです. (笑い)
-“<オールドボーイ>は俳優チェ・ミンシクさんのギャラリーと言うこともできる”とパク・チャヌク監督が表現した事あります. 一方<タチァ>はキム・ヘスさんのギャラリーみたいです. 前になかった面貌を見つけるとか、もっと深く、いままで知らなかった俳優キム・ヘスの持ったインパクトが強い要素を選んで見られたという印象です.
=ツェドンフン監督は俳優たちが一緒に作業したい演出者に数えられます. ありがちなことを扱いながらも新しく感じるようにする演出者です. せりふも普段書く単語を書きますが、調合が非凡じゃないでしょうか. 濃い感情を引き出したり、一線を超えなくても, 出すべきことはすべて出すから俳優も楽だし観客にも好まれます. それ, 誰でもできることじゃありません. 旅行途中ツェドンフン監督がプロポーズしてくださったという消息を聞いて初めは信じませんでした. 偉い監督たちはあんまり私を捜してくれないんですよね. (笑い)
-自分をけなして言う習慣がありますね.
=いいえ, 事実です. 私は演技を長くしてきたけれども、いままでも業績を見れば誰でも分かります. <タチァ> 提案がとてもうれしくて “私がそれやるから, 他の人できないようにして”, 冗談半分話半分そういったけど, 実際帰って来てシナリオを見てからは、胸がドキドキしました. 私は私にない何かを作り出す俳優にはなれないんですよ. チョンマダンになるには自分が持つ要素があまりなかったです. 良い監督に会う機会も大切だが良い俳優たちと共演する機会もめったにないことだと欲心は出たが、ひょっとして映画で誰になるか心配で悩んだんです. 普通私は悩みが長く続いたら、心に秘める方です. ですが <タチァ>には盲目的な欲心が生じたので、才能ある人々から最大限の助けを受ける事にしました. 撮影が始まった後もしばらくの間確信できませんでした. 他の立派な俳優たちに付いて行く事ができないというストレスがひどかったし、完璧に帰る現場状況に気後れもしました.
-なぜそんなに‘私だけ違う’, ‘私だけ分からない’と思うんですか?
=その時はそうだったんです. 私を選択した演出家ががっかりするのが耐えられなかったし. ところで不思議なことにある日突然気持ちが楽になりました. 実はその日の撮影場面は全然楽な状況ではなかったんですが…. よりによってその次の撮影が 2週間も間隔が空くのでその感じが消えたらどうしようとすごく心配したんです. 私はチョンマダンだけになりきって生きているのではないですから. ところが2週間経ってもその楽さは持続しました. もしそうでなかったら、チョンマダンの運命は変わったかもしれません. もちろんツェドンフン監督はどういう形であれチョンマダンを生かして演出されたでしょうけど. キャラクターは保護して俳優の弱点はカバーするのが監督の仕事、そういう才能がすぐれた監督ですから. しかし俳優として私は自己恥辱感に苛まれました.
-<犯罪の再構成>のヨム・ジョンアさんの演技はどういうふうに見られましたか?
=ヨム・ジョンアさんは本当に上手い演技者でしょう. 人々がそれをよく分からなかったです. 1996年に一緒にドラマをしたけれど、過不足のない粹な演技をするという感じがしました. 大概は訳もなく力が入った熱演でなければ, ぎこちなかったりとかリアリティーに欠けます. 私もそうだったんです. すべてタイミングがあるようです. 宝石は細工をするから宝石なのであって、そのままでは原石でしょう? 良い俳優はやはり時間をかけて見ることです. ヨム・ジョンアさん, パク・チャヌク監督 <スリー, モンスター>のプロローグでも素敵だったでしょう?
-おっしゃったタイミングが来るまで時間をかけて堪えることができるのかが、俳優のカギだということですね.
=<タチァ>でキム・ヘスのエキスが出たといっても、これからずっとエキスが出るわけじゃありません. 何かが一度発現されたとしても、これからずっと演技が上昇するのではないです. そういう機会が今後も尋ねて来るか, 私がその機会を作るのか, 他の誰かが作ってくれるのかは分からないです.
-チョンマダンが見る人を意識しないで内面を現わす唯一の場面が入浴シーンです. この前出演作(顔のない美女)にもキム・ヘスさんが官能美を見せてくれた場面がありましたよね. あなたを目の前にして監督たちがそんなシーンを撮らないではいられない、そんな何かがあるんでしょうか?
=親しくなったら、私そんなに魅力ないです. <タチァ>は映画の本質がエロティックさとはほど遠いです. コニと情事以後のシーンも元々それほど処理する計画はなかったです. 初め監督ドン・チョンドが露出して歩いて行って家運を着る姿だと言いました. “私の登板を伏せればそれに花札をしても良いと思う?” 申し上げたんです. (一同爆笑) 取ってから知らずに体を回して偶然胸が見えましたが、結果を見たらそれが正解だったようだし楽だったです. 実はさっき申し上げた私が楽になった時点が皮肉にもまさにその日なんです. そんな場面取る日に楽になったと言ったら誤解するかも知れないけど, 私は臆病で露出できない俳優ではないし、体を見せたくて仕方がないという人でもないです. 私ぼうっとしてました? 何? 俳優はキャラクターに合わせて動かなきゃね. 映画でチョンマダンの後姿がたくさんありますが、彼女はコニにだけ自分の後姿を全部見せました. 本当に愛したんでしょう.
“大学生の時プチ家出をしたが, アパート団地の中で道に迷ったんです”
-微動小学校, 徳性女子中, ベファ女子高が母校ですよね. ソウルの古い町内で育ちましたね.
=生まれは釜山なのにそこには小学校 3年生までおりました。貿易をする父の仕事のためソウルに引っ越しました. 釜山時代仲のいい友達と死後世界, 宇宙人, 魔の三角地帯などが共通関心事で、公園の芝生に並んで横になって星座をそして何日後何が変わったかどうして変わったか計算したりして遊びました.
-チョコレート飲料 CFのテコンドー少女で初めて世に知られたんですね.
=幼いころから好奇心が強くて何かを学ぶのが好きでした. 小学校の時、塾に6ヶ所通いましたよ. なんでも早く学んで中身はなくてね. (笑い) 微動小学校には国家代表テコンドー子供師範団がありましたが、定員数名超えた場合成績が平均 90点以下に落ちると除名されたしテコンドー部主将がいつも全校生徒会長だったです. デザイナーに合わせたユニホーム着て, 髪の毛も美容室に行ってまったく同じに丸く切って通ったが、私はそのユニホームを着て師範様の前で “テコン!” 挙手の礼をしたかったんです. 同期に入団した子でそんな子は私だけでしょうね. (笑い) 女子は私一人でしたが母が目立つようにと頭に大きい花までつけてくれたんです. 88年オリンピック誘致の前, サマランチ IOC 委員長が訪韓した時、初示範に出て文字通りコッスンイ(花束伝える子供, 花童)までしました.
-ドラマ <漢江数打令>で兄弟多い家の長女役がすごく似合いましたよね.
=私の家が5人兄弟です. 二人だけ生もうかという時代に両親がいくら仲が良くても程がありますね. (笑い) 私たちは家族どうし友達で秘密もないです. 両親も一緒にする外食がひと月に一度, 弟たちと姉とは毎週一二回ずつ食事します. 5人兄弟は見た目も趣向も大いに異なるのに食べ物の好みがどれだけ違うか! 帰って場所を決めるのに, 誰かがカムジャタンを絶対食べたいといったら、私が食べられなくても一緒に行くという訳です. 小さい頃は弟たちと野球したり、風呂場でじゃぶじゃぶ一緒に水遊びしたりしていました. 中学生までは小学生バス料金で通用するほど成長が遅かったので心安かったんです. 私は演技しながら背が大きくなり始めました.
-10代にスターになった娘の仕事の面倒を見るためにお母さんが忙しかったのに, あまり面倒を見てもらえなかった兄弟が剥奪感を感じるとか逆にキム・ヘスさんが負い目を感じたりしたことはなかったんですか?
=未成年のときは勿論、成人した後もお母さんが度が外れた保護をしたんです. 結果的にはおかげさまで一歩遅れて本当に開放的な人になれたし感謝します. あの頃は特に芸能界の雰囲気が両親の立場ならあまり安全といえる社会ではありませんでした. お父さんは常にやめるように薦めたし、私も芸能界には愛着を持たなかったです. ただ, 子供である私が大人たちの間で過ごしていて, 彼らが大人の中でも特別な大人-芸術家という点が魅惑的でしたね. 何の話でしたっけ? そうそう, 負い目ね. 末っ子と私が八歳差なんですけど、ある日見たら, 末っ子がすごく大きいんです. “お姉ちゃん! おんぶ!” こんな赤ちゃんがものすごく大きくなったのにこの子が育つ過程を私一人だけ見られなかったと思ったらすごく悲しかったです. 話を戻しますが、いつもお母さんが私のそばにいらっしゃるから幼い末っ子が “ママ, 小さいお姉さんが死んだらいいのに”と言った事があるそうですよ. 弟たち皆に申し訳ないが末っ子が一番かわいそうに思います. 八歳の年の差は, 末っ子じゃなければ恋愛でもできる年の差ですけど(笑い), 私には息子みたいです. お姉さんと私は一歳差で姉妹どうし喧嘩もします. それでもママが服二着買って来たらお姉さんは常に私に先に選びなさいと言っていました. 私が “これ私の!” つばをつけた物をお姉さんが持って行ったら私はまた躊躇なしに “これも私の!” 叫んだんです. お姉さんは “じゃあ, それもあんたのにしなさい” と言う子でした. お姉さんは妹が可愛いのが嬉しかったみたいですね. 高校の時まで部屋を一緒に使ったが, 私が寝ていて夢にびっくりしたときは、手を握ったり、頬にあてては足を擦ってくれました. 私の面倒を見るために居ないママの代わりに家事もしてくれていましたし、どこかできれいな物見たら自分の分よりも私のを買って来てくれました. だから私はきれいな物見るとお姉さんを思います. 一生私とお姉さんの間ではお姉さんが優先ではなければならないと心に誓いました.
-キム・ヘスさんは高校在学当時もうソウルの少年たちが想像する性的ファンタジーの対象でした. お話通りならば高校進学後うんと成長したわけですが、自分も不慣れな身が他人の幻想になるという点がいささか生硬ではなかったんですか?
=スターに憧れた経験がないからか高校の時まで私に対する他人達の好奇心を自覚することが出来ませんでした. 精神的思春期は肉体的成長よりも遅れて大学に入ってからやって来ました. 私の人生のとても大きい部分を割く仕事をしていながら、私の意志が抜けているという点を自覚して、幻影みたいな気がしました. それから十数年、長い間は横になって虚空を見れば私の人生どこに行くのか、それだけを考えていました. いつだったか、気の進まない週末劇に無理やり出演しましたが、憂鬱に負けて家に帰らずに一人歩いている途中アパート団地で道に迷いました. 一人で家を出るくらいできなくちゃ. 大学生なのにどんなに情けなかったか分かるでしょう? 小さな家出だったが, 4時間迷って仕方なく公衆電話をかけてお父さんが迎えに来てくれました. “何が問題なの?”と自問自答したが、まともに説得力ある論理を出すことも出来ませんでした. こんなことも出来ない自分が長い間悲しかったです. そんなエピソードは 1996年までつながります.
-東国大学に通うのも車で送り迎えでしたよね?
=大学 3年の時好きな人ができたがママにボーイフレンドとは付き合わないでと言われました. 他の兄弟は自由なのに私だけ (俳優だから) だめだというんですよ. でも人好きな気持ちがどうして止められます? 結局他の人達も記者たちにも全部バレましたが、家だけにはバレなかったんです. (笑い) 学校先輩と隠れて恋愛するのはとても楽しかったです. 学校後門に ‘やあ, 入って行って見よう’というカフェーがありました. そこのおばさんが本当に良い方だったです. あの子たちが本当に気の毒だとおっしゃって、閉店時間過ぎてもドアを閉めずにいてくださったり, 見えないように一番隅の席に背を向けて座るようにしてくださったり, コーヒーを何杯もおかわりしても分からないふりをしてくださったり・・ 教授の中にも君たちの行くところなければ教授室で会いなさいと言ってくださったありがたい方もいました.
“すべてを出しながらも空気のように自由な状態, 私がそうだったら良いです.”
-10代から実際より年上の人物を演技して <初恋>(1993)に出て初めて実年齢に帰って来ました. 初期作の中で批評的評価が一番高かった作品だから, この映画で演技が分かったり、分からなかったり、後日にも影響を及ぼしましたか?
=特別に思い出した事はないです. <初恋>の製作者は他の俳優がほしかったがイ・ミョンセ監督が誰かの結婚式に行ってキム・ヘスの本質を見たと私を主人公に選びました. 当時私は年より成熟した子供として知られた芸能人であるだけで誰一人そういう目線で話してくれる人はいませんでした. 学生じゃないみたいに “この映画のテーマは何か?”と訊いたら “初恋の鍵を通じてのぞき見た時間の秘密”と言いますね. 何のことか分からなかったけれど、試写会日、町内路地の中で季節が変わるエピローグを見て初めて理解したんです. もし今またすれば絶対ヤン・シニができると思います. このごろでも 1年に1~2回は見る映画ですが、何年か前 <アメリ>を見てヤン・シニを思い出し、ニューヨークにいらっしゃったイ・ミョンセ監督にメールを書きました.
-<新羅の月夜>で, 少年からおじさんまで男たちがうじゃうじゃする警察署にキム・ヘスさんが入って来て話した “申し訳ありません” このたった一言のせりふだけ繰り返して、みんな身の置き場がなくなるという状況が面白くて印象的でしたね.
=シナリオはもっと面白かったです. 私はコミック演技をすると少し作為的に見えるコンプレックスがあります. もちろんそのため強いイメージを刻んだし、いまでもロマンチックコメディーのシナリオが入って来るが私が一番嫌いな自分の姿です.
-しかしそういう場面はキム・ヘスさんだから成り立つ面もあると思います. 男たちをタジタジにする女性濃度が圧倒的に高いんですよ. <新羅の月夜>や <YMCA 野球団>のように一人で二人の男を手にとる構図が似合う一方, 他の女優と並立して同じパーセントを占める作品が珍しいのも同じ理由からではないでしょうか? ですからユン・ジンソさんと、夫の知らない恋愛をする二人の主婦として出演される、新作 <浮気をしやすい日>が珍しく見えます.
=男の間にあるとか一人でする作品はして見たが女二人のはする機会がなかったですね. <浮気をしやすい日>の比重は私が 1/3 位で小さいです. <浮気をしやすい日>は, 私がこのごろ沒頭する情緒に当たる作品なので選択しました. すべてのことを分かって出しながらも空気のように軽くて自由な状態, 私がそうだったら良いです.
-キム・ヘスさんはじっといても一種の波長を出すようです. 表現すれば自分の意図よりもっと強く受け入れられると感じたことはありませんか? 少しだけ動いても效果が強いから気を付けなければならないという経験的な警戒心があるようもします.
=その警戒心はあまり強くしてはいけないでしょうね. 多分観客は分かっていることです. 私は自然に明るくしたと思うのに誇張されたように見える時があります. 感情が爆発する時も適度な水準を越して、危ない時がありますし. 特に映画では、それは長所というよりハンディキャップであることのほうが多いです.
-<キム・ヘス プラス・ユー>も進行したが, 自分が催す緊張を緩めるために話術がお上手なのではないでしょうか.
=そんなに柔軟な人にはなれません. ぎこちないとか適応することができない空気が感じられれば上手くいかない. だから <キム・ヘスプラス・ユー> のスタップたちは大変だったんです. 初めての録画を控えて作家にどうすればいいかと訊いたら, 心から話をよく聞き入れれば良いと言われました. 私は言葉をほんとにありのまま聞くんですよ? 初ゲストでシン・ドンヨプさんが出たが一人でも話お上手だから心より感動しながら聞き入ったんです. ところが中休み時間に作家たちが話し合っていました. 本気で聞き入っているのはいいが、放送だからよく聞いているというリアクションのジェスチャーが必要だと。 そのとき私は実際人々が傾聴する時作るぼうぜんとした表情をしていたんですって. (笑い) 放送の真実は別にあるのに分からなかったんですよね. 放送初盤モニターをして見たら気に入るゲストが来れば興奮した様子がありありと見えて, “私がどうしてこの人と話さなきゃならないの?” と気の乗らない日は初めから別のところを見てるんですよね. <キム・ヘスプラス・ユー>はとても大切です. 仲間たちをまた見て愛するようにしてくれた番組です. 自分に関する先入観にはぞっとしながらも、他人に対する偏見があった私を反省しましたし、思いやりと言うものは相手を基準にしなければならないということも学びました. 近い人々からはトークショーを進行してから表現が柔らかくなったとも言われます.
-<新羅の月夜> 以前と以後で演技表現の大きさが変わったという感じですが.
=事実 <新羅の月夜>をする前, 満30歳で、できれば仕事をやめようと思っていました. 一応才能の限界を感じたし, 常にタブロイドを飾る人という芸能人に関する誤解も嫌でした. 演技者の本質を悩み始めたら自分の貧弱さを自覚したし、人生に対してももうちょっと具体的に思う時点が来たということです. 派手な引退ではなく静かにすっきりやめるようにマネージャーとも相談しました. 一度心を整理したからこそこんな反問が入るんです. それでは人生で一番元気で活気に満ちて美しくて動感にあふれる時期に、私は芸術家たちの周辺に留まって彼らの活力を受けて文化空間と趣向を得た、しかし それだけで果して満足することができるか? 意味がとても弱いことも耐えられませんでした。 それで留保をしてちょっと卑屈に (笑い) マネージャーと相談して <新羅の月夜>を選択しました. 3年間映画を休んだ後の作品でしたが、当時映画界でさえ私を演技者として認めてくれる人はいなかったです.
-ちょっとひどい表現ではないんでしょうか?
=いいえ. 入って来る作品を見れば分かります. 私は誰も分かる, 演技パターンも分かる単なる芸能人だったんです. <新羅の月夜>は私がたった一度だけ戦略的に選択した作品です. (笑い) 韓国観客が一番好きな安定的なコメディー演出家, アクターツートップ, 興行が負担ではなくて映画に対して絶対的に責任を負わなくても良い, 自然に映画で復帰すること適当な作品. 対外的基点が <新羅の月夜>ならオムニバス <スリー>の <メモリーズ>は対内的基点でしょう. キム・ジウン監督は私を誰もが見るキム・ヘスとしては見なかった. 今はその後にも撮った映画があるので私の他の面が知られたが、当時はキム・ジウン監督ただ一人だけそれを見てくれました. それで一生感謝するようです. もう私の決心はやろうと決めたら心赴くままにしようということだけです. 戦略もキャラクターの分別性も必要ありません.
“徹夜で撮影した後、頬がこけた私の顔が本当に良いです”
-写真撮影する時、ご自分の鼻が低いと表現しましたが整形を考えたことありますか?
=そんなのあまりに遅すぎる(笑い), でも勧誘は受けましたよ. 創始期からすべてきれいなのに鼻が低いという話はたくさん聞いたんですよ. 実際俳優たちが整形をするのにはたくさんの理由があります. 美しくなる欲求は本能でもあるでしょうが, 良く言えば媒体に自分を合わせようとする努力だと見ることもできます. 例えば私は顔と目, 鼻,口が丸くて照明を当てると輪郭がはっきり出ないんです. 女優によく使うかすんで白い照明をすればコッペパンみたいになります. (笑い) <タチァ>の優れた撮影, 照明監督の荒い照明が角を取ってシャープなチョンマダンが生まれたんです. 一緒に仕事をしてみると、お二人は俳優が聞いたら悩み苦しむだろうと心配してひそひそと相談なさってましたが、私にはとてもありがたいことでしょう. このごろ痩せて疲れたように見える, 年を取ったように見える, 具合が悪いのかと心配で聞きますが、私は一晩中撮影した後頬がこけた自分の顔が本当に好きです. 一度もそんな顔を持ってみたことがないから言うのかもしれないけど, 突出した頬骨と男たちのはみでたあごが好きです.
-アイライン, 眉毛, まつげなど目の化粧の変化に従って印象の随分違いますね.
=私の目鼻立ちが大きいと思うでしょうが目の化粧を落とせば全然はっきりしてないです.(笑い) 赤んぼうの時の面影が残っていますが聡気が抜けてぼーっとした顔です。 空虚だったらとても奥深くてつまらない意味で寂しく見えます. 眉毛を整えると目頭の幅がとても広くて化粧しがいがあります. <YMCA 野球団>のミン・ジョンリムはとても厚い私の眉毛をそのまま育てた場合なのに印象がまろやかになりながら笑う目つきが変わったんです. 写真を撮る時ならセクシーな振りをしながらも, でも終るのがおくれて強烈な目では全然ないです. <タチァ>は赤い口紅だから目の化粧は平凡にさせたし <良くない家>では女性性が稀薄な女なので化粧をしていません.
-次期作 <良くない家>のチョン・ユンチォル監督とは以前に一緒に参加した映画がありましたか?
=<ブンホングシン> 予告篇編集をチョン監督がしたが私はよく知りませんでした. お姉さんの家に頼って暮す武侠作家の叔母役です.. 初めはおかしな精神世界を持った女として設定されましたが, して見ると武侠作家でなくてフリーターが本質ではないかと思いました. 戯画化するとか美化したフリーターではなくそのままフリーターです. よく似てるんですよ. 私たち俳優が仕事しない時はフリーターじゃないですか. ちょっと変拍子のシナリオですが面白かったし <マラソン> 次期作にこんな映画をなさる点がもっと良かったです. 実は母親役が欲しかったが私のできる役は叔母しかなかったんですよ. そのままその中に埋没したかったんです.
-映画で衣装と装身具は観客の変身欲望が解消される部分です. キム・ヘスさんは劇の中で服を特によく着替える俳優のようです. <タチァ> <顔のない美女> <YMCA 野球団> などがそうですよね. かたや授賞式ドレスも一種の舞台衣装だとすれば, 自然人キム・ヘスさんの普段着の趣向はこれと言うように当てはまりませんね.
=<ブンホングシン>や <新羅の月夜>はあんまり着替えなかったです. <顔のない美女>は衣装が演出意図の一部だったんです. 普段は楽な服を楽しみます. でも平坦な服ではなくて締めてもどんなふうにしても体が自由な服が好きです. 質感や身に絡められる感じが不便ならば着ないです.
-似た脈絡ですが, キム・ヘスさんは映画の中で道や廊下をかかとの高い靴をはいてカツカツと歩いて行く姿をよく見ます. 新しい映画に入ればもしかして “この映画ではこうやって歩こう”ということを別に構想するんですか?
=私の歩き方が好きで意味を付与した二人の方がいらっしゃいます。<顔ない美女>のキムインシク監督, <タチァ>のツェドンフン監督です. <顔のない美女>のジスはずっと歩いて <タチァ>のチョンマダンは歩く後姿をよく見せてくれます. ですがお二人の基準と表現方式は違います. 金監督は私の歩く姿が素敵だと言ったんです. 催監督はこういいました. “ヒェスシは本当に誠意ありげに歩きますね. 足首と膝の折れる様が誠意あります. 歩幅が大きくてきちんきちんと歩くのに, 堂々そうだけど頭は下げています.” 別に神経は全然使わなくて他の人達のように無心に歩きます. 履き物は,きれいな色のものだったり、 普通はかかとが高くて立ち上がることもできないほどのハイヒールがとても好きです. なんでも中途半端なのはあまり好きではないです.
“母性は永遠なテーマと思います, 存在の基本だからです. ”
-映画を一緒に作業した方々によると資料収集やアイディア構想に熱心だと聞きました. 演出部的とでも言いましょうか?
=そうです. 大学で演出部経験もあるので. 一応作品をする時私にとって一番重要なのは監督がこの映画をどんなふうに表現しようとするかなのです. 事実, 俳優はキャラクターにだけ集中する方が多いです. しかし演出に係わる部分のほうに関心があってもっと面白いから・・どうします. 監督の願うことが正確に分かれば私は次に本当に監督を補佐することができるでしょう. 仕事お上手なスタップたちにもぞっこん惚れ込みます. たとえばキム・ウヒョン撮影技師! 本当に最高です.
-最近も映画にすれば良いだろうと思う話やアイテムがありましたか?
=2年前ディスカバリーチャンネルで <希代の拉致事件> シリーズを見ました. なかでも 1970年代アメリカ言論財閥娘の拉致事件が興味深かったです. 大学生だった女性はシャワー行く途中で拉致され、クローゼットの中に閉じこめられ、レイプされて洗脳されたんです. 6ヶ月間彼女を録画したテープを見ると、初めはお父さんが捜してくれることを信じると言っているけど、段々お父さんを批判し始めます. 最後にはとうとう誘拐犯ボスを愛して銀行強盗に加担しますが、一党は掃討されてしまい、一人で生き残ってしまいます. そして 30年の刑を宣告されてから 8年後釈放されます. 韓国を背景に移そうとキム・ジウン監督にも話しましたけど、お気に召さなかったみたい. (笑い) もう一つはエリザベートキーンが書いた <万種類悲しみ>という本です. 母女 3代にわたった波乱万丈の悲劇です. 戦争統(洞の下の行政区画)に米軍兵と恋に落ちて、単身で作家を生んだ母は町内子供達が混血である娘に石を投げると、娘の手だけしっかり握ってこういいます. どうせ一生守ってくれることができないから一人で勝ち抜きなさいと. 母方家族たちに自殺を勧められた母が死に、四歳になった作家は孤児院でアメリカに入養されることになるが、またもや悲劇が尋ねて来ます. 新派的要素を抜いて現在時制に合わせて構成すればミニシリーズで大丈夫そうです. むしろ無惨な場面を映画的に解くことができたら映画として良さそうで. 娘とママは 1人2役なら良いです.
-話を読む時劇中女性役に自分を代入してみる方でしょうか, それとも話全体を見る方でしょうか?
=後者です. 普通映画人たちが小説とか何を見ても頭の中にキャスティングする病気があったりします. 例えば <永遠なる帝国>でイ・インモンの妻ユン・サンアは私がやらなければならないと思いました. 幼弱なイ・インモンを動かす女は意志が強いだけではなく母性愛がなければならないと読んで感じたが、私はその母性愛が分かるようだったんですよ. 思ったとおりそのままを演技で見せることはできませんでしたが….
-多くのインタビューでママ, お母さん, 母性はあなたの関心がとどまる話題ですよね.
=母性は男女選り分けないで誰にも, 孤児にも結局は永遠なテーマと思います. 存在の基本だからです.
-ある機能や労動を社会に売って生きて行く大部分の人々は仕事と自我の間にある程度距離がありますが俳優は隠れる術がなさそうです.
=隠れなければいいんですよ! 仕事と私生活を敢えて分離した時もありました. しかしある瞬間それほど区分する必要がないということを悟って、楽になりました. 密着するときは自然に密着するものだし, 仕事の負担のために、本当に望むことをしない時期は幼いときにすでに経験しました. 私は本当に重要なのだと思えばほうってはおきません. 私が逃すとかあきらめることがあったら、さほど重要ではないからです.
Recent Comments